2012年05月11日
250兆分の1の確率。個性
■ゆ~さん★のおもしろコラムだじょ~
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今年の冬は、雪も降らずに、寒かったり暖かかったりで、いやがおうにも温暖化の進行を感じさせる妙な季節でしたね。そして春。卒業シーズンになりました。
私の娘も無事に高校に合格し、後は卒業式を待つばかりです。
さて、そんな中で、家内がPTAの役員で広報委員長をやってまして~この間その手伝いをしてきましたー。
何かというと、PTA会報の卒業文集~
で、先生方のコメントや生徒達のコメントを編集して会報にまとめるわけなんだけど、ある法則があって、大体「個性的に生きろ」とか「個性を伸ばせ」とか「自分らしく」とか・・・個性に関する事が大半なわけです。
そこで、個性とは何だろう?と考えてみる。
私達が生まれて来る確率は医学的、数学的に250兆分の1なんだそうです。
これは東京ドームの数千倍の大きさの空間に米粒満たして、そこから1粒を取り出す確率。
途方も無い無限ともいうべき確率ですね。
遺伝情報が少しずつ異なる一つ一つが熾烈な競争を経て、その中で勝ち抜いて、今の私達は存在しているわけです。
この事を考えると、例外なく皆凄い事をやってきたんだなーって感動を禁じ得ません。
実はこの時点で生まれてきた皆、超個性的なわけです!
さあ、こうやってこの世に生まれて来て、すくすくと育って、幼稚園~小学校~中学~と進むわけですが、知らず知らずの内に集団生活の罠にはまって、無個性人間が出来上がりつつあるように思うのです。
学校や家庭で、親や教師が扱い易いように、生徒や子供を画一的な生活パターンへ押し込む。
そして、そこから外れる生徒や子供は、不良とか問題児と名づけて隅へおしやる。
なんの事はない。言う事を聞く楽で扱い易い生徒が良い生徒なのだ。
でも変だよね?
教室の壁や学校訓には「個性的であれ」とか書いてある。そして、卒業のコメントにも。
つまり、よそ行きの言葉と実生活の言葉を使い分けているのだ。
もともと250兆分の1の確率で生まれてきたのだから、一人一人が個性的なはず。
色んな特徴を持った人がそれぞれの経験を通じ成長して社会に出てくるわけで、本来画一的なロボット人間なんてありゃしない。
しかし、コミュニティーの中で妙に染まりきって敗北主義者の様に諦めと同居した人をあちらこちらで見掛ける。
蚤は、本来身長の何百倍もジャンプするそうだけど、その蚤をガラスケースに入れて蓋をすると、最初の内は天井にぶつかるジャンプをするけど、そのうち天井にぶつからないジャンプしかしなくなるんだって。
そして、そうなった蚤をケースから出しても元の様な高いジャンプができなくなるんだって。
身長の何百倍もジャンプできる蚤の個性が失われた瞬間です。
一方、個性と我侭、勝手気ままを混同するやからもいる。
いい大人になっても勘違いしているのは、精神が幼いからだと思うのです。
世の中に出ると、色々な人がいて面白いけど、先の蚤の様にはなりたくないよね。
どんなに生きても僅か100年です。長いようでもとても短い人の一生。
その中で何かを成そうとするならば、ほんと時間は足りないばかり。
精神を鍛え個性を活かし、素晴らしい人生を送りたいものです。
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今年の冬は、雪も降らずに、寒かったり暖かかったりで、いやがおうにも温暖化の進行を感じさせる妙な季節でしたね。そして春。卒業シーズンになりました。
私の娘も無事に高校に合格し、後は卒業式を待つばかりです。
さて、そんな中で、家内がPTAの役員で広報委員長をやってまして~この間その手伝いをしてきましたー。
何かというと、PTA会報の卒業文集~
で、先生方のコメントや生徒達のコメントを編集して会報にまとめるわけなんだけど、ある法則があって、大体「個性的に生きろ」とか「個性を伸ばせ」とか「自分らしく」とか・・・個性に関する事が大半なわけです。
そこで、個性とは何だろう?と考えてみる。
私達が生まれて来る確率は医学的、数学的に250兆分の1なんだそうです。
これは東京ドームの数千倍の大きさの空間に米粒満たして、そこから1粒を取り出す確率。
途方も無い無限ともいうべき確率ですね。
遺伝情報が少しずつ異なる一つ一つが熾烈な競争を経て、その中で勝ち抜いて、今の私達は存在しているわけです。
この事を考えると、例外なく皆凄い事をやってきたんだなーって感動を禁じ得ません。
実はこの時点で生まれてきた皆、超個性的なわけです!
さあ、こうやってこの世に生まれて来て、すくすくと育って、幼稚園~小学校~中学~と進むわけですが、知らず知らずの内に集団生活の罠にはまって、無個性人間が出来上がりつつあるように思うのです。
学校や家庭で、親や教師が扱い易いように、生徒や子供を画一的な生活パターンへ押し込む。
そして、そこから外れる生徒や子供は、不良とか問題児と名づけて隅へおしやる。
なんの事はない。言う事を聞く楽で扱い易い生徒が良い生徒なのだ。
でも変だよね?
教室の壁や学校訓には「個性的であれ」とか書いてある。そして、卒業のコメントにも。
つまり、よそ行きの言葉と実生活の言葉を使い分けているのだ。
もともと250兆分の1の確率で生まれてきたのだから、一人一人が個性的なはず。
色んな特徴を持った人がそれぞれの経験を通じ成長して社会に出てくるわけで、本来画一的なロボット人間なんてありゃしない。
しかし、コミュニティーの中で妙に染まりきって敗北主義者の様に諦めと同居した人をあちらこちらで見掛ける。
蚤は、本来身長の何百倍もジャンプするそうだけど、その蚤をガラスケースに入れて蓋をすると、最初の内は天井にぶつかるジャンプをするけど、そのうち天井にぶつからないジャンプしかしなくなるんだって。
そして、そうなった蚤をケースから出しても元の様な高いジャンプができなくなるんだって。
身長の何百倍もジャンプできる蚤の個性が失われた瞬間です。
一方、個性と我侭、勝手気ままを混同するやからもいる。
いい大人になっても勘違いしているのは、精神が幼いからだと思うのです。
世の中に出ると、色々な人がいて面白いけど、先の蚤の様にはなりたくないよね。
どんなに生きても僅か100年です。長いようでもとても短い人の一生。
その中で何かを成そうとするならば、ほんと時間は足りないばかり。
精神を鍛え個性を活かし、素晴らしい人生を送りたいものです。