2012年05月07日
組織と群集のちょっと面白い話し
■ゆ~さん★のおもしろコラムだじょ~
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人がたくさんいて、集まっている状態を群衆といいますが、これは何かに縛られているわけではなく勝って気ままに動いている(たまたまそこに集まっている)状態を指します。
ただ、何かの目的で~例えば○○さんのコンサートに集まった人々~っていうのも、群集です。
それに対して、何かの役割を持って協力する体制ができた時、群集は組織へと進化します。
さて、我々が何気にビジネスの一コマの中で、よく?目にする事で、何かのテーマ、トラブル、問題にぶち当たった時、ごそごそっと、周りの人が「おっ、どーしたぁ?」って感じで集まってきて、皆でその事にあたる。
例えば、職場のPCがが故障すれば、詳しそうな人が2、3人集まってきて、あーでもない、こーでもないと、小田原評定が始まる。
10人で担ぐ神輿を15人で担いでいる様なもので、そこには生産性がないわけです。
因みに10人で担ぐ神輿なら、鍛え抜かれた7人で担がなければダメ。
15人、20人で担いでいたとすると、その内3~4人はぶら下がってますよ。
^^; あ~重たい。
7人で担いで、浮いた利益3をボーナスで分配された方がいいでしょ?
仕事は稼ぎに来てるんだから。
これって実は日本人のDNAに深く関わっていて、中々奥深いものがあるのです。
日本人と欧米人(おーべーかっ)の文化の違いは、ズバリ、農耕民族か、狩猟民族か。
農耕民族は、土地に根をおろして農作物を定期的に得る事で、狩猟民族に比べて生活が安定する反面、のんびり屋で、調整型。
何しろ、広大な田んぼに田植えをするのに、一人じゃ大変だから、周りの人の協力を得なきゃならないわけだけど、えばって強力なリーダーシップを発揮しちゃうと、すーぐ反発を食らって村八分になっちまうわけだ。
だから、自分を抑えて、仲良く相談しながら、目立たず・・・っていうのが身に染み付いてる。
ここでは、それぞれの農家が対等でそれぞれが合議制で上手くやるのが特徴。
それに対して、狩猟民族は組織型。
なんてったって、農耕民族の様に安定した収穫がないから、そりゃもー必死です。
一頭の鹿をしとめるか、しとめ損なうかで自分達の生死がかかってるんだから。
そこで、極限まで可能性を高める為に組織が編み出されたわけ。
どんなもんかっていうとね
コンダクター、サーチ&ウオッチ係り、追い立て係り、待ち伏せ弓矢部隊 とかこーんな感じで、役割が狩猟の流れの中でキッチリと分かれているのです。つまり、これが組織。
で、それぞれの役割の中でヒーローがいる。
例えば
・どんなに遠くにいる獲物もサーチできる、鷹の眼の源(ゲン)さん!
・ヤツに追い立てられた獲物は、レールが轢かれたかの様に待ち伏せ部隊に向かって行く。
追い立屋カール君。
・射程距離に入った獲物なら蚊でも射抜く神業弓撃手、デュークゴルゴ君
・風を読み的確な配置をし、それぞれのタイミングを指揮する、一手先読みのコイズーミ。
狩猟の民は、こうして機能で結ばれて集団を組織し生活の糧を得てきた。
そして、彼らは役割としてその技能を磨いてきているので、指図される事に何の躊躇もない。
指揮されるその中で、最高のパフォーマンスを発揮する事が仕事だと理解しているからだ。
ただし、獲物をちゃんと追い立ててくれなければ、弓撃手は仕事ができないし、ちゃんと追い立てても、しっかりしとめてくれなきゃ、飯にありつけない。
また、そもそも、しっかり獲物をサーチしたり、全体を指揮してくれなきゃ始まらないわけ。
なので、それぞれが、責任と権限を持って言うべきを言い、主張する。
(おまえなぁ~~ちゃんと追いたてろよ~!獲物を!って感じでw)
ま、こーんな違いが農耕民族と狩猟民族にあって、その歴史をDNAで受け継いでいる私たち。日本人の組織下手はこーんな所から来ているのかもしれませんね。
でもね、私たちが今、現実に直面しているビジネスの世界は、同業他社があったり、経済環境が影響したり、ユーザーの嗜好に変化があったり、技術革新があったり・・・
時の淘汰の中で企業が生き残って行くには、まさに狩猟型の組織が時代の要請なのかもしれませんね。
DNAを書き換えないと~
ってことで、またね~~
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人がたくさんいて、集まっている状態を群衆といいますが、これは何かに縛られているわけではなく勝って気ままに動いている(たまたまそこに集まっている)状態を指します。
ただ、何かの目的で~例えば○○さんのコンサートに集まった人々~っていうのも、群集です。
それに対して、何かの役割を持って協力する体制ができた時、群集は組織へと進化します。
さて、我々が何気にビジネスの一コマの中で、よく?目にする事で、何かのテーマ、トラブル、問題にぶち当たった時、ごそごそっと、周りの人が「おっ、どーしたぁ?」って感じで集まってきて、皆でその事にあたる。
例えば、職場のPCがが故障すれば、詳しそうな人が2、3人集まってきて、あーでもない、こーでもないと、小田原評定が始まる。
10人で担ぐ神輿を15人で担いでいる様なもので、そこには生産性がないわけです。
因みに10人で担ぐ神輿なら、鍛え抜かれた7人で担がなければダメ。
15人、20人で担いでいたとすると、その内3~4人はぶら下がってますよ。
^^; あ~重たい。
7人で担いで、浮いた利益3をボーナスで分配された方がいいでしょ?
仕事は稼ぎに来てるんだから。
これって実は日本人のDNAに深く関わっていて、中々奥深いものがあるのです。
日本人と欧米人(おーべーかっ)の文化の違いは、ズバリ、農耕民族か、狩猟民族か。
農耕民族は、土地に根をおろして農作物を定期的に得る事で、狩猟民族に比べて生活が安定する反面、のんびり屋で、調整型。
何しろ、広大な田んぼに田植えをするのに、一人じゃ大変だから、周りの人の協力を得なきゃならないわけだけど、えばって強力なリーダーシップを発揮しちゃうと、すーぐ反発を食らって村八分になっちまうわけだ。
だから、自分を抑えて、仲良く相談しながら、目立たず・・・っていうのが身に染み付いてる。
ここでは、それぞれの農家が対等でそれぞれが合議制で上手くやるのが特徴。
それに対して、狩猟民族は組織型。
なんてったって、農耕民族の様に安定した収穫がないから、そりゃもー必死です。
一頭の鹿をしとめるか、しとめ損なうかで自分達の生死がかかってるんだから。
そこで、極限まで可能性を高める為に組織が編み出されたわけ。
どんなもんかっていうとね
コンダクター、サーチ&ウオッチ係り、追い立て係り、待ち伏せ弓矢部隊 とかこーんな感じで、役割が狩猟の流れの中でキッチリと分かれているのです。つまり、これが組織。
で、それぞれの役割の中でヒーローがいる。
例えば
・どんなに遠くにいる獲物もサーチできる、鷹の眼の源(ゲン)さん!
・ヤツに追い立てられた獲物は、レールが轢かれたかの様に待ち伏せ部隊に向かって行く。
追い立屋カール君。
・射程距離に入った獲物なら蚊でも射抜く神業弓撃手、デュークゴルゴ君
・風を読み的確な配置をし、それぞれのタイミングを指揮する、一手先読みのコイズーミ。
狩猟の民は、こうして機能で結ばれて集団を組織し生活の糧を得てきた。
そして、彼らは役割としてその技能を磨いてきているので、指図される事に何の躊躇もない。
指揮されるその中で、最高のパフォーマンスを発揮する事が仕事だと理解しているからだ。
ただし、獲物をちゃんと追い立ててくれなければ、弓撃手は仕事ができないし、ちゃんと追い立てても、しっかりしとめてくれなきゃ、飯にありつけない。
また、そもそも、しっかり獲物をサーチしたり、全体を指揮してくれなきゃ始まらないわけ。
なので、それぞれが、責任と権限を持って言うべきを言い、主張する。
(おまえなぁ~~ちゃんと追いたてろよ~!獲物を!って感じでw)
ま、こーんな違いが農耕民族と狩猟民族にあって、その歴史をDNAで受け継いでいる私たち。日本人の組織下手はこーんな所から来ているのかもしれませんね。
でもね、私たちが今、現実に直面しているビジネスの世界は、同業他社があったり、経済環境が影響したり、ユーザーの嗜好に変化があったり、技術革新があったり・・・
時の淘汰の中で企業が生き残って行くには、まさに狩猟型の組織が時代の要請なのかもしれませんね。
DNAを書き換えないと~
ってことで、またね~~