2012年04月23日
ミケランジェロの話し
■ゆ~さん★のおもしろコラムだじょ~
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コレかな~り昔の話し。
↓
あのさー、ボーっとTV見てたらさー、任天堂のDSのコマーシャルやっててね、どんなのかってゆーと、ロダンの「考える人」の前を歩いてるカップルに「この置物の作者は、ミケランジェロである。○か×か?」って問題で
(彼氏)「ま、まる~」・・・(彼女)「ウン、ウン♪」・・・
答えは~ ブブー(×) ってやつ。 知ってる?
で、ふと思ったんだ。(↑は、まぁ、ありがちな話しだよねw)
ルーブルにあるミケランジェロの「ダビデ像」と、ロダンの「考える人」は、作品の製作過程に於いて本質的に全く違うのだと。(どちらも素晴らしい作品には違いないんだけどねw)
どういう事かというと、
「考える人」は、骨組みに粘土を付け足していくのに対して、「ダビデ像」は、無垢の大理石を削っていく点。
つまり、付け足す方法ならば試行錯誤の末、気に入らなければ、その部分を削ってまた付け足せば良いけど無垢の大理石を削って行く場合は、失敗が許されないわけ。
(すげ~シビア^^;
もう随分前に、なんかの本でミケランジェロについて読んだ事があるんだけど、そこで彼は彫刻について、こんな事を言ってた。
彫刻とは、「像」を彫ってるんじゃないんだ。
彫る前の大理石の塊の中には、既に完成された「像」が眠っていて、我々彫刻家は、その中に眠っている像の周りに付いている余分な大理石を丁寧に取り除いているだけなんだ。
これは、まるでエジプトの古代遺跡の発掘で、土に埋まっている造形物を筆の毛先で丁寧に払い除けてる作業のようだ。
でも、古代遺跡の作業ならば分る。元々造形物が土の中に眠っているのだから。しかし、無垢の大理石は・・・
人間の芸術性、創造性ってすごいんですねー!
イメージだけで、あれ程の作品が作り上げられるんだから。
どこかで、僅かでもミスれば、全体のバランスが崩れてしまい、とてもあんな素晴らしい作品はできやしない。
「作る」という心境では無く、初めからその中に眠っていた物を「出現」させるといったニュアンスのミケランジェロのコメントに納得せざるをえない。
さて、話はかわるけど、仕事も同じじゃないかなと思う。
人・物・金・情報・ノウハウ という経営資源があり、会社を取り巻く諸条件、マーケットの環境など様々な要素があるけど、これを一つの塊とみなすのだ。=無垢の大理石
会社の方向を舵取りするにあたり、選択肢はたくさんあるけど、その中の一つを選択する。
すると、無垢の大理石の中には既に「ダビデ像」が眠っていた様に、その選択の最終形、行き着く先が自ずと決まってしまうのだ。意識できるか、理解できるかには関係なく。
もちろん、その方針の下、その選択を成功させるには、彫刻同様に彫り損じてはいけない。
「彫り損じ」とは、技術が未熟であったり、完成形をイメージし切れてないから起り、それは後になってから気付く事が多いもの。
つまり、何かを計画して、それを成功に導く為には、その完成形をイメージできていて、常にそれを意識できていないとダメなんだな~と思うのです。
スポーツなんかでも、そうでしょ?
だから、やっぱりパッと思いつきのアイディアは失敗する事が多い。
ミケランジェロほどの稀有の天才でも、素晴らしい作品を生み出すのに、相当の計画と計算、洞察力を総動員して磨かれた技術の下支えの上で命を削りながら打ち込んだのだから。
私もかくありたいものだな~と、思うのであります。
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コレかな~り昔の話し。
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あのさー、ボーっとTV見てたらさー、任天堂のDSのコマーシャルやっててね、どんなのかってゆーと、ロダンの「考える人」の前を歩いてるカップルに「この置物の作者は、ミケランジェロである。○か×か?」って問題で
(彼氏)「ま、まる~」・・・(彼女)「ウン、ウン♪」・・・
答えは~ ブブー(×) ってやつ。 知ってる?
で、ふと思ったんだ。(↑は、まぁ、ありがちな話しだよねw)
ルーブルにあるミケランジェロの「ダビデ像」と、ロダンの「考える人」は、作品の製作過程に於いて本質的に全く違うのだと。(どちらも素晴らしい作品には違いないんだけどねw)
どういう事かというと、
「考える人」は、骨組みに粘土を付け足していくのに対して、「ダビデ像」は、無垢の大理石を削っていく点。
つまり、付け足す方法ならば試行錯誤の末、気に入らなければ、その部分を削ってまた付け足せば良いけど無垢の大理石を削って行く場合は、失敗が許されないわけ。
(すげ~シビア^^;
もう随分前に、なんかの本でミケランジェロについて読んだ事があるんだけど、そこで彼は彫刻について、こんな事を言ってた。
彫刻とは、「像」を彫ってるんじゃないんだ。
彫る前の大理石の塊の中には、既に完成された「像」が眠っていて、我々彫刻家は、その中に眠っている像の周りに付いている余分な大理石を丁寧に取り除いているだけなんだ。
これは、まるでエジプトの古代遺跡の発掘で、土に埋まっている造形物を筆の毛先で丁寧に払い除けてる作業のようだ。
でも、古代遺跡の作業ならば分る。元々造形物が土の中に眠っているのだから。しかし、無垢の大理石は・・・
人間の芸術性、創造性ってすごいんですねー!
イメージだけで、あれ程の作品が作り上げられるんだから。
どこかで、僅かでもミスれば、全体のバランスが崩れてしまい、とてもあんな素晴らしい作品はできやしない。
「作る」という心境では無く、初めからその中に眠っていた物を「出現」させるといったニュアンスのミケランジェロのコメントに納得せざるをえない。
さて、話はかわるけど、仕事も同じじゃないかなと思う。
人・物・金・情報・ノウハウ という経営資源があり、会社を取り巻く諸条件、マーケットの環境など様々な要素があるけど、これを一つの塊とみなすのだ。=無垢の大理石
会社の方向を舵取りするにあたり、選択肢はたくさんあるけど、その中の一つを選択する。
すると、無垢の大理石の中には既に「ダビデ像」が眠っていた様に、その選択の最終形、行き着く先が自ずと決まってしまうのだ。意識できるか、理解できるかには関係なく。
もちろん、その方針の下、その選択を成功させるには、彫刻同様に彫り損じてはいけない。
「彫り損じ」とは、技術が未熟であったり、完成形をイメージし切れてないから起り、それは後になってから気付く事が多いもの。
つまり、何かを計画して、それを成功に導く為には、その完成形をイメージできていて、常にそれを意識できていないとダメなんだな~と思うのです。
スポーツなんかでも、そうでしょ?
だから、やっぱりパッと思いつきのアイディアは失敗する事が多い。
ミケランジェロほどの稀有の天才でも、素晴らしい作品を生み出すのに、相当の計画と計算、洞察力を総動員して磨かれた技術の下支えの上で命を削りながら打ち込んだのだから。
私もかくありたいものだな~と、思うのであります。